概要
当初、東京ムービー新社は、鈴木清順ら『ルパン三世 (TV第2シリーズ)』(以下、『TV第2シリーズ』)や劇場版『ルパン三世 ルパンVS複製人間』の脚本家チームが執筆した脚本を元に大塚康生へ監督を依頼していたが、気乗りしない大塚は宮崎に監督就任を要請した。当時、宮崎は日本アニメーションで高畑勲らと『赤毛のアン』のレイアウトや場面設定をしていたが、これを降板して1979年5月に制作準備に取りかかる。後の作品と同様、宮崎は脚本なしでイメージボードと絵コンテを描き始め、脚本は共同名義の山崎晴哉がリライトした形となった。
もともと大塚は『ルパン三世 (TV第1シリーズ)』(以下、『TV第1シリーズ』)の作画監督で、宮崎と高畑も、共に「Aプロダクション演出グループ」の匿名でTV第1シリーズ後半の演出を担当していた。そのため、宮崎や大塚がデザインしたキャラクターや小道具、イメージボードは『TV第1シリーズ』に準じており、当時の『TV第2シリーズ』や前作映画『ルパン三世 ルパンVS複製人間』では赤だったルパンのジャケットが、『TV第1シリーズ』と同じ緑色に戻されていた。
興行的には前作に及ばなかったが、後のテレビ放映や上映会で人気を集めるようになり、宮崎の演出やレイアウト手法はその後のアニメ業界に影響を与えることとなった。構想、製作期間がわずか半年という短さで作られた映画であり、宮崎は「この作品で初めて自分の体力の限界を知った」と語っている。途中、製作期間内に終わらないと考えた宮崎は、下水のシーンの絵コンテを書き直しており、不満を語っている。最終的に、製作は予定された期間より一ヶ月延びている。
声の出演
主題歌
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